『パラドックス思考 矛盾に満ちた世界で最適な問題解決をはかる|舘野泰一/安斎勇樹』
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パラドックス思考 ― 矛盾に満ちた世界で最適な問題解決をはかる
Highlights & Notes
> パラドックスとは、一見すると正しそうに見える前提から考えを進めた結果、矛盾した結論が導かれる問題のことを指します。
> 私たちが「ややこしい問題」の深みにはまってしまうのは、本当は複合的な要因が絡んだ問題を、安易に「A or Bの問い」にしてしまい、どちらかを悪者にしてしまったり、「存在してはいけないもの」としてしまったりすることにあります。どちらかを否定すればするほど、問題はより絡まっていってしまいます。
> こうしたややこしい問題は、学術的には「 厄介な問題(Wicked Problems)」と表現され ます。 *3 Buchanan, R. (1992) Wicked problems in design thinking. Design issues, 8(2), 5-21 「厄介な問題」の特徴は、さまざまな変数が複雑に絡み合っているため、事前に問題が解決した「ゴール状態」を定義することができず、どこから手をつけてよいのかわからない点です。そのために、解決したことによってしかその問題の性質を理解できない点が「厄介さ」の要因です。
> V&U→この先どうなるのかわからない Volatility(変動性)とUncertainty(不確実性)は、外部環境が目まぐるしく変化し、先行きの見通しが立たない状態、すなわち「この先どうなるのかわからない」状況につながります。いわば「未来のわからなさ」です。 C&A→何が起きているのかわからない Complexity(複雑性)とAmbiguity(曖昧性)は、今目の前で起きている事象の要因が複層的で「いったい何が起こっている?」「どうしてこうなった?」と思えるような事態につながります。すなわち「何が起きているのかわからない」状況です。いわば「現在のわからなさ」といえるでしょう。
> パラドックス思考のポイントは、「厄介な問題」に対峙した際に「あらかじめ」矛盾する2つの感情を発見することです。
> ジレンマの特徴は、自分の「外側」に、明確に「Aor B」の選択肢が存在していて、合理的な妥当解がなく、どちらを選んでも何らかの不利益が生まれる点です。しかし片側の選択肢の不利益に目を 瞑り、妥協しさえすれば、「えいや!」で決めてしまうことができる点も、ジレンマの特徴です。
> 2つの感情は、必ずしも意識の中で「Aor B」という形で「対立」はしていないかもしれません。むしろ、それらが一見すると「矛盾」していることに気づきにくいからこそ、そこに意識的に目を向けていく「パラドックス思考」に意義があるのです。
> 内発的動機:その行為そのものに動機がある 外発的動機:その行為とは別に動機がある 内発的動機に基づいている状態とは、食事にしても、遊びにしても、仕事にしても、その行為そのものをやりたくてやっている状態を指します。食べたいから、食べている。遊びたいから、遊んでいる。仕事がしたいから、仕事をしているような状態です。 外発的動機に基づいている状態とは、その行為そのものではなく、何か別のもののためにその行為をしている状態です。残すと怒られるから、食べている。視野を広げるために、遊んでいる。お金のために、仕事をしているような状態です。
> しかし外発的動機について気をつけなければいけない点は、他者から報酬や賞賛を獲得しやすい「得意技」が一度見つかると、それをひたすらに繰り返したいという動機が、やればやるほど増幅的に強化されていく特徴がある点です。
> 当初は「私たちは仲間だ」とハッキリさせるために「境界線」を引いて集団を形成してきたはずが、組織のサイズが肥大化する過程で、階層が複雑化し、仲間感覚がかえって消失していく。これが組織の構造が生み出すパラドックスの要因の1つです。
> 組織に「境界線」を複雑に張り巡らせた結果、チームAに所属するメンバーと、チームBに所属する別のメンバーは同じ組織の「内側」にいながら、同時にチームの「外側」にいることになる。言い換えれば、「仲間」であるが、同時に「敵」でもあるという矛盾した存在を作り出してしまう─。 これが、組織においてさまざまなパラドックスを生み出すシンプルな性質なのです。
> に大きく関わっています。 【変化⇄安定】のパラドックスの本質は、「現在の枠組み」から外部に脱出しようとするエネルギーと、「現在の枠組み」の内部でそれを維持しようとするエネルギーの衝突です。
> たとえば、地域のつながりが強く狭い「田舎」でずっと暮らしていると、どこを歩いていても顔見知りだらけで安心できる半面、変わらない人間関係と日常に「閉塞感」を感じることがあります。 するとたいてい、自分の「自由」な意思で好きなことをしたいと考えて、思い切って地元を飛び出して、しがらみのない場所で生きていく道を選ぶ。これが「自己実現」の本質であり、私たちが「自由」という言葉に想起する感覚です。 ところが私たちは「自由」を謳歌し続けていると、身を預けられる「共同体」が欠落してきて、人とのつながりが恋しくなることもあります。しがらみがまったくないと、人間は寂しくなるのです。 私たちが「ハレ(非日常)」と「ケ(日常)」の両方を大切にしているのも、同様の理由です。凝り固まった平穏なルーティンを繰り返すだけでは、私たちは生きていけません。たまには日常のしがらみから解放されて、〝暗黙の前提〟を揺さぶり、本当の「私」を見つめ直す時間を取らなければ、活力を失ってしまうのです。かといって、毎日が「ハレ(非日常)」の繰り返しでも、それはそれで自分を見失ってしまいます。
> しがらみだらけの〝無理ゲー〟社会においては、こうした「どうせ無理だろう」が何重にも折り重なって、人々を「無気力」にさせます。しかし「無気力」とはモチベーションが存在しない状態ではなく、あったはずのモチベーションが「なかったこと」にされてしまっている状態です。
> 1つ目の「切替戦略」は、感情Aと感情Bのそれぞれに対する2つのアクションを、振り子のように、交互に切り替えながら実行する戦略です。「両立する時間がない」という不安を解消し、「2つとも実行できる」状態にすることができます。 「切替戦略」は、3つのうちでもっとも初歩的な戦略です。しかし、シンプルゆえに、着実にアクションにつなげることができる長所があります。「Aor B」の犠牲のストーリーから離れ、感情パラドックスを「点」ではなく「線」で考える訓練をする上でも、まず試してみたい方法です。 切替戦略は、感情AとBのそれぞれを切り分けて両立を図るため、「感情AとBの相乗効果」は期待できませんが、着実かつ具体的な解決策を考えやすいという大きなメリットがあります。
> そもそも職場の中で感情パラドックスが発生するのは、メンバーの「組織に対する感情C」がバラバラだからという可能性があります。たとえば、「 40 代課長」と「部下」のコミュニケーションがうまくいかないのは「どのような職場でありたいか?」の感情が異なっているからだと考えられます。つまり「感情C」のズレが、感情パラドックスの発生装置となっているのです。 チームメンバーとともに「欲張りの源泉」を考えることは、お互いの「感情Cは何か?」を理解し、統合することにつながります。このプロセスをチームで行うことは、「感情C」に関する具体的な施策のエンゲージメントを高めるだけでなく、感情パラドックスの発生装置そのものを消滅させるような、大きな力を持っています。よって、ぜひ組織レベルの問題を考えるときには、チームメンバーとともに考えることをおすすめします。
> 真善美を問い直すとは、具体的に次の3つを深めることです。 真:自分にとって何が「正しい」のか? 善:自分にとって何が「よい」のか? 美:自分にとって何が「美しい」のか? これらの3つの問いは、一朝一夕で答えられるものではありません。日々の生活の中で、あらゆるものに触れることを通して、徐々に自覚できるようになるものです。これが自分自身の価値観となり、「感情C」を生み出すための土台となります。すなわち、包含戦略を実行できるようになるためには、自身の成熟が求められるのです。
> しかしこうした人や集団の「創造性」が、なぜパラドックス思考によって高められるのでしょうか。その理由はアイデアに関する次の2つです。 ① アイデアの受け手の理解:感情パラドックスの性質を深く「理解」することで、人間の本質を突いたアイデアを生み出せるようになる ② アイデアの作り手の刺激:感情パラドックスを積極的に「刺激」することで、現状の延長線上にはない、固定観念を超えるアイデアを生み出せる
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